2016年05月27日

葬送の響

 人は長いこと生きていると、多くの生命の誕生を祝い多くの別れを経験する ☆また一人友を亡くした。23日に入院・24日朝に亡くなり・25日昼には葬儀が営まれ荼毘に付された。瞬時のことで夢かと思った ☆音楽づくりを含む創造的な音楽活動を音楽の授業に教材化した功績は輝きがあった。時代をつくった人の一人だった。この世のミッションを終え、天使と共に飛び立った感がある ☆生き方が上手かったとは思えないが、音楽への情熱は凄まじいものがあった。教会が悲しみに包まれた瞬間でも、ミッションを果たした人の響きは重厚に鳴り響いていた。故高須 一氏の冥福を祈りながら、その足跡は祝うことにした。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ドキュメント

2016年05月23日

アジア管絃の現在

 「祷声」という企画の演奏会が22日・京都市立芸術大学で開催された。コンテンポラリー作品を集めて、表記テーマの基室内楽・合唱など二部構成で一日音楽に満たされた空間を経験した ☆拙作のヴィブラフォーンの作品も宮本妥子氏が見事な祈りの世界を拡げてくれた。国内外の選りすぐれた作品が多かった。しかし何より驚いたことは、演奏レヴェルの高さだ。それも大学教員が・・・ではなく、今学んでいたり、今春大学院を卒業した人びとが、ベテランのような説得力で表現していた ☆四半世紀前には考えられないレヴェルだ。京都という一つの町にこんなに優れた音楽家が生まれているなど、信じられない世界が展開していた。続々とハイレヴェルの演奏家が生まれている。凄いことだ!
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 19:05| コンサート

2016年05月03日

適応障害

 学校でも会社でも、いや社会そのモノにも人には”適応障害”がある ☆大きな括りで言えば、人は大なり小なり”適応障害”があって、それを誤魔化したり、自分に言い聞かせたりして生きているようだ。自覚があるのに、自分がいけないと思って責めている人が多い。自分や社会に責任があるのではなく、元々適応出来ないのが人間で、一般的な教育により説得されて適応の雰囲気に包まれた安心感で生きているだけなのだ。だから適応障害を感じる人ほど正直で自然人なのだ ☆現世ではそれでいい。その次が問題だ。あの世で適応出来なかったらどうなるのだろうか?その障害の報告は何処にも無い。みんな仏様になれるような説法だらけだ。本当だろうか?
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記