2016年08月29日

子どもの音楽(3)

 演奏家がやりたがる曲を優先的にプログラム化したがる。聴き映えだって、演奏の充実感だってある。どこでもやっている「らしい子どものため」の演奏会を参考にしたがる。そんなモンだから、という雰囲気もある ☆子どもの音楽や教育の専門家・音楽教育プログラムを研究&実践している人・作曲家などが加わったブレーンと提携していないプログラムに優れた演奏会は無い。専門家の意見は貴重だ。そこまで最近は掘り下げて制作していることが多くなった。制作関係者で”学習指導要領”を読んでいる人にも出くわすようになった。子どもダマシでなくなった。そこまで考えない企画は、本物を聴かせているポーズだけはあるが、殆ど大人の満足になっている。子どもの・・・と掲げる時は、そのくらいシビアであって当然だ。大人向けのコンサートより、とても大変なのだ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 19:25| コンサート

2016年08月24日

記譜法学会

 1972年にローマで「国際記譜方学会」が開催された ☆ グラーツで国際現代音楽祭に参加した帰り、ローマの「ノーヴァコンソナンツァ」が拙作を演奏会に採り上げるというので立ち寄った。そこで記譜方の学会があったわけだが、発表など当時何のことだか私には分からなかった。図形楽譜や現代の様々な記譜の問題が討論されていたのに・・・ ☆資料は冊子からパンフレットまで合わせると百科事典一冊分にもなり、帰りの荷物は重かった。その後イタリア語の資料が多く、読むのに苦労してそのママ段ボール箱で眠り続けていた ☆役半世紀経ち、それを研究している若者が現れた。全部差し上げた。役に立つとは思わなかったが、意外なところで生き返った。二度と手に入らない貴重な資料として生かされた。資料は取っておくモノだと感じた。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 19:02| ドキュメント

2016年08月10日

ス芸(スゲ〜ッ)!

 感動の基になる一つにヴィルトゥーゾ(超絶技巧)がある ☆体操などにも人間業とは思えないスゲー表現に出会うことがある。作曲でも演奏でも、スゲ〜ッと魅入られる世界の提示がないと、時代に埋もれていく。素恋(すごい)とか、う舞(うまい)とかいうレヴェルではない。芸を超えたところに新世界がある ☆一度見聞きすると、同じ表現でも次からは感動の度合いが減っていく。それを超えて、何回もス芸!と言わせられないと消えていく。そう!芸術だって”格闘技”だからだ。残念ながら最近では「ス芸!」と驚くことがなくなった。それが私にとってはス芸ことだ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 18:39| 日記

2016年08月02日

現場検証

 今はTVにも視聴率があって、視聴者の反応は直ぐ分かる。しかし例えばドラマでも、歌謡ショーでも、どこが受けたか明確ではない。もちろん視聴率は動くから、多くの人びとが支持した場面はピークで分かる ☆昔がいいとは限らないが、映画館での観客の反応は凄まじかった。手を叩いて興に入ったり、台詞の受け渡しも瞬間に受けることが分かる。それでシナリオを書いた人は直接肌で反応をチェックすることができた。だから同じウケ台詞は使い回しが利いた。「お前の出る幕じゃァねえ!」「へェ・・・」という場面もいい例だ ☆一回の TV放映と、半年も全国を巡業した映画とは比較出来ないが、制作関係者は「何が、どこがウケたか」色々な手を使って調べている。”柳の下のドジョウはいるだけ採れ”という世界だ。ウケる嗜好が多くなった分、ドジョウを探しても見つからないことが多くなった。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 00:11| ドキュメント