2018年03月02日

啓蒙企画

 古典芸能からクラシック音楽と様々なジャンルでレクチャー企画がある ☆「こんな素晴らしい世界を知らないなんて」「少しでも魅力を感じて!」など。しかし大体が素晴らしさを知っている(と思っている)ひとから、知らない人への(要は“上から目線”の)教育・啓蒙活動だ ☆今や知らないと思ったことは瞬時にネットで分かる。芸術でも面白さや魅力は直ぐに調べられる。つまり多くの人びとは知っていて、それ以上の関わる要求が無いだけなのだ。それを知らしめてやろうとは傲慢だ。その心理のカラクリが分からない人にクラシック音楽関係者が多い。本物を聴けば子どもでも分かる、と嘯いている。でピアノを弾いてみたら二流の演奏というケースも多い ☆魅力を伝えるには、いい演奏、関係者のいいキャラクターも必要だが、この種の思い上がりを反省することが一番だ。
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2018年02月18日

命がけ

 人は命がけで生きている。生まれる時もそうだ。勉強も仕事も、時に病や恋愛にも、命がけの闘いで生き延びてきている ☆余裕がある人、遊びながら、楽しみながらの人や時もあっただろうが、大きな勝負に命を掛けて来て今があるのだろう ☆とてもそんな大それた気持ちは無く生きてきた?でもこれからも命がけは続いて行く。人は死ぬときも命がけなのだ。
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2018年02月10日

魅力発進

 音楽の魅力、自分が専門とする出会った楽器の魅力、名曲や人との出会いの感動を、子どもにも分かる内容でみんなに話して欲しい ☆音大生に課した話題だが、聴き手も私も「なるほど」「凄い」「感激」という反応は一回も無かった。課題の出し方が悪かったのか、学生の心に引き出しを開けることが出来なかったのか不明だが、実につまらない応えしか帰って来なかった。きっと専門にする音楽と向き合った感激があったからだろうが、だれもそれを語れなかった。いや本当に無かったのかもしれない、とさえ思った ☆フルートが何故好きになったのか、それで何をみんなに伝えたいのか、将来どうありたいのか、誰も語ることは無かった。先生に言われた通り、まるでコピーを繰り返すように、日課をこなしている。全員がそうではないだろうが、ほとんどの卵は茹で上がっていた。
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2017年06月01日

無形の音

 形があるようで無いのが音だ。自然界の音に形を加えたものが音楽になる。だから音の世界は本来は形があって無いものだ ☆天才から我々市井の人びとの誰彼もなく形をなした音を聴く。偉人ほど天空の音を切り取って人びとに伝える。それはまた形の認識になるが、聴き手は形から飛び出していく音に驚きを感じている ☆音を形で認識をすることに、つくった人びとによる世界観の差異性を感じる。しかしそこで立ち止まるのではなく、つくられた天才の構築した音たちが、再現の時など特に形の無い世界への発信に耳を傾けると、違った世界に触れる想いがする。
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2017年02月14日

寺の世話役

 どこのお寺に行っても「講」のような”世話役”がいる。揃いのはんてんを着た高齢者が多い ☆多くの例はボランティアだ。仏様に奉仕している満足感がある。”選民主義”を地で行った人や、邑社会を作っている人や勘違いの人びともいる ☆光を浴びられる瞬間に弱者を蹴飛ばして我先に名乗るようなところもある。世話役も現世のドロドロから抜けない所がお寺での参拝客の手本になっている ☆見守るだけ、微笑んでいるだけ、困った人に「耳を傾ける」だけ。出来そうで出来ない姿を見せているのが世話役の本領だ
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2016年08月24日

記譜法学会

 1972年にローマで「国際記譜方学会」が開催された ☆ グラーツで国際現代音楽祭に参加した帰り、ローマの「ノーヴァコンソナンツァ」が拙作を演奏会に採り上げるというので立ち寄った。そこで記譜方の学会があったわけだが、発表など当時何のことだか私には分からなかった。図形楽譜や現代の様々な記譜の問題が討論されていたのに・・・ ☆資料は冊子からパンフレットまで合わせると百科事典一冊分にもなり、帰りの荷物は重かった。その後イタリア語の資料が多く、読むのに苦労してそのママ段ボール箱で眠り続けていた ☆役半世紀経ち、それを研究している若者が現れた。全部差し上げた。役に立つとは思わなかったが、意外なところで生き返った。二度と手に入らない貴重な資料として生かされた。資料は取っておくモノだと感じた。
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2016年08月02日

現場検証

 今はTVにも視聴率があって、視聴者の反応は直ぐ分かる。しかし例えばドラマでも、歌謡ショーでも、どこが受けたか明確ではない。もちろん視聴率は動くから、多くの人びとが支持した場面はピークで分かる ☆昔がいいとは限らないが、映画館での観客の反応は凄まじかった。手を叩いて興に入ったり、台詞の受け渡しも瞬間に受けることが分かる。それでシナリオを書いた人は直接肌で反応をチェックすることができた。だから同じウケ台詞は使い回しが利いた。「お前の出る幕じゃァねえ!」「へェ・・・」という場面もいい例だ ☆一回の TV放映と、半年も全国を巡業した映画とは比較出来ないが、制作関係者は「何が、どこがウケたか」色々な手を使って調べている。”柳の下のドジョウはいるだけ採れ”という世界だ。ウケる嗜好が多くなった分、ドジョウを探しても見つからないことが多くなった。
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2016年05月27日

葬送の響

 人は長いこと生きていると、多くの生命の誕生を祝い多くの別れを経験する ☆また一人友を亡くした。23日に入院・24日朝に亡くなり・25日昼には葬儀が営まれ荼毘に付された。瞬時のことで夢かと思った ☆音楽づくりを含む創造的な音楽活動を音楽の授業に教材化した功績は輝きがあった。時代をつくった人の一人だった。この世のミッションを終え、天使と共に飛び立った感がある ☆生き方が上手かったとは思えないが、音楽への情熱は凄まじいものがあった。教会が悲しみに包まれた瞬間でも、ミッションを果たした人の響きは重厚に鳴り響いていた。故高須 一氏の冥福を祈りながら、その足跡は祝うことにした。
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2016年03月14日

即死回数

 仕事に限って言う。♪切られて死んだの五万回、という歌もあった。傷だらけの人生という言葉もあった。仕事に限らず瞬時に切られることが人生ではよくあることだ。サムライ時代では即死だ ☆考えたら何回死んだことだろうか?無防備なために、失言の為に、闇打ちのような瞬間に、誤解を持たれて・・・言い分が沢山あるのに、問答無用で息の根を止められてしまう。誰にでもあったことだろう ☆それでも生かしていてくれる宇宙の生命は凄い!即死の数をエネルギーにする人もいる。ということは即死の回数が多いことも大切だ、ということか?しかし出血サービスのような例も無いではないが・・・
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 22:52| ドキュメント

2016年02月01日

合唱指導

 ソロ楽器の演奏・歌唱も、合唱団を歌わせることも、表現者の歌そのものだ ☆ピアノを弾いても、演奏者の音そのものが出る。歌い方も楽器を通して出る。歌っているフリしているが、全く歌えないピアニストもいる。アンサンブルになると指揮者の歌い方に統一される。もちろん個々が歌っている表現を全体としてまとめる役だが、指揮者の歌い方の元にまとめられることが多い ☆高齢のベテラン指揮者が幾つもの”おかあさんコーラス”を振っていた。どこも同じ歌い方で、日本の叙情歌が切れ切れの浪花節に聞こえた。誰も注意しないベテランの陥る”つぶやきソング”がそこにはあった。別の所では奇妙な指揮をしていた。歌とまるで違う動作が違和感を覚えた。理由を追い求めたら、故人の合唱指揮者の部分的なマネをしているだけで、歌とは関係無いようだった ☆歌うこととそれを表現することは、音楽の基本に当たるが、その簡単なことがとても難しいことだと再度思い知らされた。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 10:16| ドキュメント