2016年06月01日

真っ黒総譜

 現代音楽の総譜(スコア)は細かくてギッシリ、真っ黒に書かれているものが多い。特にコンクールになると、熱意の象徴のように真っ黒だ ☆ゴチャゴチャした音がグチャグチャ鳴っている、と読むと大体そんな音がする。五線紙が目立つ、つまり音譜が少ないといい音がしないように思っている人が多い ☆その真っ白な楽譜を記す代表は、亡くなられた「若松正司」さんだった。音譜を何処に書いてあるのかビックリするほど少ない。ところがオーケストラが鳴り出すと、素晴らしいアレンジの音がした。確かに必要な音が最小にして最大の効果が上がるように書かれていた ☆私の図形楽譜も「即興」と演奏者の「創造」に負えるように記されている。書かれたことが少ないと大体心配になり、不安が募り、不満が出る。或いは「みんな私がやってあげたの」という自分の創作を主張する人もいる。難しい話だが、最小にして最大の表現が出来るということは、創作の神髄だろう。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 作曲

2015年10月17日

背景音楽

映像の背景に流れる音楽を BGM(バックグラウンドミュージック)という ☆ドラマでもドキュメントでも BGMはつきものだ。多くの人が共通に感じる表現に、作曲者ならではの表現が加わっている必要がある。ホント映像にピッタリの音楽ってあるものだ、と感心することがある。ミスマッチの音楽はそれなりに面白いが、不満を持つ人々の方が多いだろう・・・戦のシーンは優雅なワルツより、オーケストラがドンパチ鳴っている方を好む人が多いはずだ。恋人が逢って、語らう時には、なるほどそれなりの BGMになっている ☆これが上手く表現出来る人と出来ない人がいる。それぞれの専門があるから、作曲家の優劣は持ち込めない。上手い人は”大衆作家”のような所もある。大衆云々が悪いという意味ではない。その分かりやすいコミュニケーションは、また分かりやすい評価・表彰も得られる ☆分かりにくい表現は、その密度や精度を上げると、アートとしての別の価値観が出ることもある。分かりづらくても大衆の一部は評価してくれるだろうし、時代と共に評価は定着していくこともある。その両方が出来ている人って、なかなかいない。でも我々の先輩には見事な輝きを持って世界を築いた人もいた。映像に寄り添う音楽を聴くとき、何時も作曲家の耳目が浮かぶ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 18:26| 作曲

2015年10月04日

ハーモニー

ハーモニーには、音による響きの積み重ねが「縮小(圧縮)」するものと、「増幅(拡大)」するモノとがある。機能和声で言われた「緊張」「解決(弛緩)」と同じようだが、不協和の強い音が交じった音と、不協和が柔らかく感じられるような響きとがあり、呼吸するように響きがつながって行くのだ ☆対位法は複数の旋律が生きる術がある。ぶつかった音が「解決」しながら複数の旋律が生かされていく。学生時代、古典の対位法の全てを逆にして作曲したことがあった。つまり響き合っている時が不協和で、それがぶつかり合って協和する様に考えたのだ。「それは面白い」と和声の先生は感心してくれた ☆その頃「メニスカス」というマリンバ独奏曲を創っていた。それから半世紀近く経って、アメリカから音楽の研究者でもある演奏家が来宅した。和声の進行が斬新で、そのことが米国で話題になった、という話だった。初めて聴く話でビックリした。世から圧縮されていた音たちが一気に爆発した感があった。遅かった。もっと早く知っていれば自信になっていたはずだった。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 20:51| 作曲

2015年09月29日

オケは鳴る

オーケストラは普通に書けば、良く鳴ってしまいますよね。「エッ、君はもうそんな境地に立ったのかい?」 ☆もう三十数年も前の話。東京藝大の大御所への呟きに火が付いた。当たり前のことを言ったまでだが、偉く不遜に聞こえたらしい・・・普通に書くと言うことは、オーケストラの各楽器には本来の役割もあって、低音・中音・高音それぞれ歌い響くもので、そのママ生かせば鳴り響く集団だ、というのが私の意見だった ☆拙作にもあるアニメのシンフォニー版など最たるモノで、セオリー通りに鳴っている。逆に”鳴らない”オケにするのが大変だ。いや、実際はホント鳴らないオケを書いている人もいる。慣らしたいのに鳴らない、というのは悲しむべきことでもある。要は当たり前に鳴らない独自な響きがいいということだ ☆打楽器がクライマックスをつくりワンワン鳴るオーケストラは、その手を読んだら興ざめになるが、圧倒的に書き手も聴き手も支持された手だ。盛り上がりの無い音楽なんて・・・という人には向かない問題だが、しかしオーケストラは鳴る力を秘めながら、素朴に語っている時が面白いと思っている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 10:16| 作曲

2015年07月04日

テレパシー・ミュージック

 音楽をつくり、表現する拙作の基は”テレパシー”だった。だから音が出る前から意識の交流が必要だった・・・しかしそれに関する拙作は、半世紀経っても全く受けなかったネ ☆究極の音楽・アンサンブルはテレパシーなのだ。ルールはある(デタラメでは無い!)。瞬間に湧き上がり交流する音たちと、対峙する(演奏家から生まれる)音たちが”即興”的に「反応」して歌い合う。それが本来の音楽の基なのだが、楽譜に記された音を「忠実に再現する」ことに長けた人びとは、全く価値観を交流しようとも思わなかった ☆楽譜など不完全なモノだ。とても全て表し切れない。書かれていないことの理解やイマジネーションだって必要だ。それなのに金科玉条に楽譜を信奉している人が多い。バッカじゃなかろうか、と思う ☆拙作には対話の材料や方法がある。その言葉への同調・反抗・異見など、相手の言葉から自分の世界を紡いでいく。その簡単な会話が演奏家(歌手も)には出来ないでいる。だから全部振り付けた音以外の自在な表現は不自由なママだった ☆合唱など、グループでの表現は極めて難しい要求になった。しかし、子どもたちなどは、簡単な体験でいくらでもテレパシー出来て、面白いように拡がって行った。そこまでで、その成果は外部に認められることは無かった。次の世紀になったら当たり前になるのかな?私の生命線の軌跡は一人二人の理解以外、賛同を得られず葬られて来ている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 作曲

2015年07月02日

ダンバイン

  TVアニメ「聖戦士ダンバイン」が放映されてから30年になるそうだ ☆今秋その全ての音楽が4枚組みの CDになってキングレコードから発売される予定だ。拙作の音楽アルバムとしては破格の曲数になる。その数年前に、芸術祭優秀賞や日本レコードアカデミー賞をいただいた「打楽器合奏五部作”天地声門”」のアルバムより大きく、拙作の他の現代音楽作品や子どもの歌全部を集めても及ばないことになった ☆特に4枚目の「交響組曲”バイストンウェル”」は初のCD化で、ファン待望のアルバムになっているそうだ。大編成のオーケストラと合唱による力作だ・・・もう30年以上も前の仕事は忘れかけていたが、お話をいただいて当時のことが走馬燈のように思い出された。10日で約70曲を書いたことや、同じ日数でレコード1枚分のオーケストラを書いたことなどが、昨日のように蘇って来た ☆アニメの音楽、劇音楽、と現代音楽の仕事とは異なるが、しかし私の音楽の様々な姿が裸になったように表出されている。我ながら凄いことだと思った。今秋は作曲家・坪能克裕の原点を自ら再確認する季節になりそうだ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 作曲