2018年02月10日

魅力発進

 音楽の魅力、自分が専門とする出会った楽器の魅力、名曲や人との出会いの感動を、子どもにも分かる内容でみんなに話して欲しい ☆音大生に課した話題だが、聴き手も私も「なるほど」「凄い」「感激」という反応は一回も無かった。課題の出し方が悪かったのか、学生の心に引き出しを開けることが出来なかったのか不明だが、実につまらない応えしか帰って来なかった。きっと専門にする音楽と向き合った感激があったからだろうが、だれもそれを語れなかった。いや本当に無かったのかもしれない、とさえ思った ☆フルートが何故好きになったのか、それで何をみんなに伝えたいのか、将来どうありたいのか、誰も語ることは無かった。先生に言われた通り、まるでコピーを繰り返すように、日課をこなしている。全員がそうではないだろうが、ほとんどの卵は茹で上がっていた。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 21:28| ドキュメント

2018年02月01日

型より入る

 物事には基本があり型がある。武道だけでなく音楽にもある ☆型とかマニュアルが無いと多くの人に基本から応用に拡げる事が難しい。しかし型に入ると出られない人も多い。出る必要もない、という人やジャンルもある ☆創造性はその基を生かして脱していくことだが、型を金科玉条に守る人が多い。音楽でもいまだに西洋に被れたままの人もいる。被れた同志の言葉は通じやすい。被れから脱却すると異なる見方も出来るだろうが、人は直ぐに保守に回るからなかなか型を超えることが無い ☆作曲に限らず、各種のコンクールなどを見ると、音楽が自由に飛び出さない全体主義のような型が拡がって行くように思える。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 17:23 | TrackBack(0) | 日記

2017年11月13日

音楽づくりの極致

 東京タワーで国際文化交流を含むフェスティバルが11月11日&12日に開催された ☆チリの民俗ダンスの音楽に、邦楽器とアジアの楽器にヴィオラを加えた音楽をその場で参加者がつくり、チリの人びとが踊った。文化の出会いと創造を同時にした画期的な作品がつくられた ☆この種の企画は難しく、誰も出来なかったし、伝統と創造のバランスも取れないキワモノになり安い企画になるのだが、音楽の先生方や音楽を専攻している大学院生が集い、美事にその場でお互いの伝統を生かして、国を超えた新作を公開することに成功した ☆音楽づくりの極致だと思った。若い世代が、上辺の物まねでなく、国境を越えた新しい世界を拡げたことに驚嘆した。ワークショップリーダーは、東京学芸大学准教授の石上則子先生が担当した。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 22:28| 日記

2017年10月03日

一致・不一致

 演劇での音楽と人形劇の同一コンセプト ☆主人公の女性が「語る」。背後で人形がパントマイムを演じる。人形は主人公の台詞に対して三通りの仕草をする ☆台詞と全く同じで、口も表情も動きも<一致>。台詞とズレるパントマイム。少し早く台詞の動作になるか、遅い反応による人形の表現が独自に<不一致>のように展開する。最後は台詞と<無関係>な世界を人形が表出させる。悲しい内容でも喜びのポーズが短い時間だが現れる ☆この三つの関係は「音の触媒」として拙作の初期に応用されていた。音楽も人形劇のような音の意味が伝わると良く聞こえるだろう・・・演劇でも音楽でもコンセプトは同じ作品を発表したことがあった。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 18:15 | TrackBack(0) | 日記

2017年06月28日

イメージ&ストーリー

 見た目9割、聴いた目9割、外見で判断し、そこからのイメージを膨らませ、ストーリーを築いて行くのは、月にウサギがいて餅つきをしていることを描いた時代と現代でも変わらない ☆現代の音楽もストーリー性を声高に唱える人もいる。音が効果的にイメージを呼び起こし、それを描写出来る事がいいらしい。早く言えば劇音楽の伴奏版の創作なのだろう ☆ただストーリー性が全くないか、というとそうではなく、音のつながりには意味があるわけだから、自然とストーリー性は備わってくる。要は先ず説明があっての音楽か、音からひとそれぞれがイメージを膨らますかなのだが、分かりやすく映像も呼び起こさせる音楽が流行るのが手っ取り早くていいかもしれない。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 10:23| 日記

2017年06月01日

無形の音

 形があるようで無いのが音だ。自然界の音に形を加えたものが音楽になる。だから音の世界は本来は形があって無いものだ ☆天才から我々市井の人びとの誰彼もなく形をなした音を聴く。偉人ほど天空の音を切り取って人びとに伝える。それはまた形の認識になるが、聴き手は形から飛び出していく音に驚きを感じている ☆音を形で認識をすることに、つくった人びとによる世界観の差異性を感じる。しかしそこで立ち止まるのではなく、つくられた天才の構築した音たちが、再現の時など特に形の無い世界への発信に耳を傾けると、違った世界に触れる想いがする。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 19:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ドキュメント

2017年05月04日

音の手のウチ

 手のウチを読む、という言葉がある。勝負にもあるが、文学でも音楽にもある ☆モノづくりには全体の構成がある。部分の組み立てが全体をつくる。どうつくるか、どう展開していくか、常套手段でないオリジナルな手でまとめて行くから面白い ☆ところが音楽でも手のウチが読めるつくり方がある。クライマックスに向かうための布石の音だったりする。読めた瞬間にシラケる。誰も使わない手で聴いたことのない音や響き、論調、展開の仕方が面白いのだが、安心して身を任せる手が多いようだ ☆劇音楽などその典型だが、しかしシリアスなはずの音楽にも堂々と分かりやすいコミュニケーションが闊歩していく。その方が表彰しやすいので価値があるようだ。そこで評価の対象外での闘いがあるのだが、手のウチが読めない世界は理解し難いことも合わせ持っている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 22:34| 日記

2017年04月20日

指揮即絶句

 ママさんコーラスのリサイタルだった ☆指揮者が奇妙な合図を送っていた。拍子を振りながら、突然右手を低い位置から頭にかけ人差し指で何回も突き上げるのだ。何の意味があるのか奇妙に感じた ☆その人の師匠の VTRを見た時に分かった。師匠最後の余命僅かな時のステージの指揮がそれだった。それには意味があった。音楽の根幹を指し示す突き上げるパワーがあった。その表面を真似たものだった ☆なんでもいい。形を真似るのも音楽だ。しかし、表現を間違えると、虎の威を借りた姿になる、という自戒を込めた表現に出会いビックリした。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年04月15日

見よう見まね

 習うよりより慣れろ、見よう見まねという言葉があるが、基礎から型に入れた学習が王道のようだ ☆先ず自分で真似て楽しむ。名人・達人の何が凄いか発見する。上手くなるためにクセが付く前に、基本から学ぶ。そこでより奥が深い道を知る・・・スポーツも芸術も同じだろう ☆ご婦人がゴルフに興味を持った。私が希望を聞き、練習所に連れて行き、そこの借りた道具で、見よう見まねのあそびを開始・・・玉に当たった!飛んだ!凄い!という反応に「いいね、上手いね」と囃し立てていた ☆突然男性がご婦人に耳打ち。「奥さん、あの人にゴルフを教わっているとダメになるよ。良かったら私が教えましょうか」だって。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年04月11日

被害者意識

 何も悪いことをしていないのに、酷い目に遭うことがある ☆偶然か、悪魔のイタズラか、突然知らない人に刺されるような事件が起こる。当然犯人に非がある。自分は正しく、何も間違ってはいない・・・ ☆しかし何がいけなかったのか、スキがあったのか、自分で自分を責めることになる。そこに偶然居合わせただけなのに、自分の存在の否定まで考える事がある。被害者は内面の傷を深く負っている ☆演奏会で、背筋を伸ばしてお手本の様な座り方をして、演奏者の芸術に応えようと思っていたら「他のお客様のご迷惑ですから、しっかり深くお掛け下さい」と指揮者登場の数秒前に係員が注意にきた。根も葉もない女性客のチクリに係員が確認しないで言いに来たわけだ ☆ここでも濡れ衣を着せられた事件が起きた。モンスター・オーディエンスは確かにいる。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記