2016年02月28日

自虐ネタ

 川柳など特にそうだが、公募の受賞作やウケる作品に自虐ネタが多い ☆夫婦それぞれの自虐を笑う。それがウケるから受賞する。読者もニンマリする。どうしてだろうか?何が面白いのか私には分からない。夫婦のマンネリを笑うことによりストレス解消なのか、ネタを喜ぶのか、レベルを下げると支持する人口が多いのか? ☆キャッチ・コピーなども、日頃考えている自虐に共感をことが多い。自虐から何かが生まれるかどうかだが、何だかオナラを笑うようなレヴェルに思う。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 00:10| 日記

2016年02月01日

合唱指導

 ソロ楽器の演奏・歌唱も、合唱団を歌わせることも、表現者の歌そのものだ ☆ピアノを弾いても、演奏者の音そのものが出る。歌い方も楽器を通して出る。歌っているフリしているが、全く歌えないピアニストもいる。アンサンブルになると指揮者の歌い方に統一される。もちろん個々が歌っている表現を全体としてまとめる役だが、指揮者の歌い方の元にまとめられることが多い ☆高齢のベテラン指揮者が幾つもの”おかあさんコーラス”を振っていた。どこも同じ歌い方で、日本の叙情歌が切れ切れの浪花節に聞こえた。誰も注意しないベテランの陥る”つぶやきソング”がそこにはあった。別の所では奇妙な指揮をしていた。歌とまるで違う動作が違和感を覚えた。理由を追い求めたら、故人の合唱指揮者の部分的なマネをしているだけで、歌とは関係無いようだった ☆歌うこととそれを表現することは、音楽の基本に当たるが、その簡単なことがとても難しいことだと再度思い知らされた。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 10:16| ドキュメント

2016年01月23日

教科書謝金

教科書にまつわる謝金のやり取りが問題になっている。新しい教科書への会議・意見に対して、先生が教科書会社から謝金を受け取っていた問題だ ☆教科書会社は採択されるか否かで社運にも関わる問題だ。だから営業対策でルール違反ギリギリの攻防をしている。今に始まったことではない。私の目の前でも起きていた日常行事だった。会社側が営利目的だと責められるが、教師の方にも問題がないわけではない。当然と思って自ら手を出して暗に要求した人もいた ☆畢竟、直接的な謝金は避けるようになる。意見を反映させる会ではない企画にご招待して、直接関係無い話の車代やお弁当代に封筒に入る程の金額を入れて渡すことになる。阿吽の呼吸、というヤツだ。また日頃の付き合いで、何かとお世話することによっての"密約"も生まれて来る。採択に影響を及ぼす各地のボスは飛び交う資金の波を上手に泳ぐことになる ☆最近は"小子化"で、中高から専門学校・大学まで受験生の奪い合いだ。ここでもボスがレフリーしていたりする。どこまで行っても人には"欲"があり、プライドがあるから、この種の問題は無くならない。困ったモンだ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 19:38| ドキュメント

2015年12月27日

無視の域

 ひとに危害を加える暴力は犯罪になる。肉体的に傷を負うことが多い。言葉の暴力も精神的な傷を負う。直接浴びせる言葉から、文書・ネットなど、多種多様な暴力がある ☆イジメは子どもから大人の社会まで、多種多様な暴力として実際に存在している。イジメというソフトな言葉になっているが、実際は暴力だ。そこにもう一つ動物の牙に似た暴力がある。それは「無視」だ。相手にしないこと、疎外させること、村八分にすることだ。相手と言葉を交わさないどころか、顔も合わせない、空気のような透明感を持ち「いなかったこと」にする手だ。これがインテリにも多くいる。そして深く精神的なダメージを相手に与える効果的な方法だと思っている ☆他人の持つ価値観で、自分と全て合う人はいないだろう。村一分か二分まで否定する権利は誰にも無い。その僅かな長所も攻撃する人が多い。そのタイプの人に「イジメはいけない」などと言う資格は無い。形を変えた暴力団の一員だ ☆子どもの頃から「無視」攻撃に、色々な場面で遭ってきた人がいる。キャラクターだけが原因ではないだろう。でも暴力で仕返しをすることもなく、様々な現象を許し、忍んでしきている。しかし根底にはその暴力によって受けた傷は許さない!と叫んでいる。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 18:14| ドキュメント

2015年12月25日

教師の呪文

 他人に何かを教えるには、その内容を自分のモノにしなければならない。不消化のママ「(講釈師)見て来たようなウソを言い」では、伝わらないからだ ☆自分が過去に学んだ範疇でしか、教えられないモノだ。自分の新たな学びや発見から、他人に伝えるには時間だってかかる。もちろん日頃誰もが勉強は欠かさないでいる。自分の新たなエネルギーになるまで、納得するまで習得には時間を掛かるモノだ ☆いい話や優れた技術があると、自分でも反芻する。反芻が重なると、自分の言葉になる。しかし問題はそこに起きる。第三者のアイディアでも、次第に自分が考えて、つくった意見に変わって行くことが多いのだ。他人の考えは自分の考えになり、それが独りでに歩き始めるのだ。だから著作権の侵害にも当たる。決して「○○の話だけどね」とは言わない。自分の発見・感動を伝えているのだ ☆優れた教師でもそれがある。「基は○○だろう」と疑う事も、いつしか自分の発見に置き換えている。その呪文は次世代に役立っているからいいのかもしれないが、でも”盗作”の話には代わりないのだ。境界線がないことと、因果関係が明確でないこと、そこに目に見えた利害が生じていないために余り問題にされていないだけだ。オリジナルは模倣からというものの、自分のモノだと思っているコピー部分が闊歩している現実は、反省しなければいけないだろう。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 22:51| ドキュメント

2015年12月04日

奇蹟の作曲(3)

 音楽史に残ってきた「作曲」は、一人が書き記した音楽だ。共作は少ない。民俗音楽では長い間仲間とつくり合った結晶が多い。だから作曲は個人的な生産だとも言える ☆作曲は個人でも、集団でもつくること、となるとコンセプトが変わる。色々な作曲があっていいが、これで「みんなでつくる」となるとアートの仲間外れにされそうだ。それを古典音楽のように評価されるとなると、今世紀中に起こるだろうか疑問だ。そのくらい固定概念は深い
 ☆子どもでもつくれると以前に言った。何もない所からは生まれない。情報や手本と、その仕組みを説く必要はある。楽器だって知らないが、この頃はコンピューターが教えてくれる。簡単なメロディーやリズムのパターンを見つけ、繰り返したり、テーマの応答などの組み立てを考えると、実際に音楽が立ち上ってくる。模倣から創造で、聴きながら納得する世界を創り合えば短くても音楽の構造をもってみんなに聴かせることは直ぐ出来る ☆子どもの感性は豊かだ。面白い、聴いたこと無い、変わっている、などのあそびからオーケストラの響きに誘われて行く。コツが掴めれば、誰もが作曲家になって楽しむ事が出来る。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 19:34| ドキュメント

2015年11月30日

お見舞い

 病気見舞いを喜ぶ人と嫌う人がいる。病院で禁じられない範囲なら何時でも誰でも大歓迎の人。弱っている自分を見られるのがイヤな人と様々だ。「元気な時の私を思い出して下されば十分です」とお見舞いを断られた巨匠もおられた ☆私は身内以外、ご本人がお見舞いを待っているか、喜んで下さるかの意思表示がある人だけ伺う事にしている。それは40年も前にイヤな思いをしたからだ・・・先輩が”交通事故”に合い、視覚障がい者になった。心底心配して、何時か何かで役に立てば嬉しいと思って伺った。その後「オレの大学のポストを狙って様子を伺いに来たヤツがいた」という噂が流れてきた ☆”ぷ〜たろう”でいられることに胸を張っていた私は、それこそ仰天した。しかし何か悪く言われるには私に原因があるだろう。そんな素振りがあったのか、心の底で噂に近い思いが私にあったのだろうか?何年も考え悩んだことがあったが、どうしても思い当たらなかった。以来、人が困っている時は相手からの問いかけが無い限り、そ〜ッとしていることにした ☆「昨年末に脳腫瘍の手術をしました」という友だちの情報を貰った。大学を卒業して何十年も逢っていなかったが「これはお見舞いに!」と思いながら、モジモジしていた。喪中のお知らせを受け取ってしまった。取り返しがつかない事をしたと思ったが、同時に昔の様々なことを思い出した。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:30| 日記

2015年11月23日

守秘義務

 どこの組織にも「職業上知り得た機密を外部に漏らしてはならない」という規約がある。漏らすと法により罰せられる。一般会社にも役所にもある ☆そりゃそうだろう。一般会社や国の機密でも、町の組織内であっても、重要機密が外にドンドン流がされてはたまったモンではない。言っていいことと悪いことの境界がここにはある。しかしそれを逆手に取っている役人もいる。「それはないでしょ」というギリギリの危ない事をしている。それを指摘すると「文句があるなら首長を訴えるがいい。そういうシステムだ」という理屈を言う。なるほど社内で出世するだけ際どい実績を、誰に言われてもスキの無いように残している。成果は別で、行く先々で枯れた実績だけを残しているが・・・ ☆時々内部告発がある。告げ口などする方だって良い気持ちではないだろう。エセ正義のヤツだっている。また貶めてやろうという事例も無きにしもあらずだ。その微妙な隙間を縫って危ない機密が外に漏れだしていく・・・そう言えば、私だって企業から、どこかの首長や木っ端役人の悪辣な手を端から見て来ているので、何だったら時効過ぎに「王様の耳はロバの耳だ」って大騒ぎしてみることだってできるようだ。それをしないのは、もっと人の奥底で幸せになっていく手だてをみんなと共有する方が楽しいからだ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:58| ドキュメント

2015年11月15日

落研・20周年

 文化会館の芸術監督時に、幾つもの市民文化参加団体を創設した。市民自らの力で文化をつくり・育て・交流する大切な基礎作りだった。「魔法の学校」も同じコンセプトで開校していた ☆20周年の記念公演があった。落語研究会だ。これが素晴らしい成果を上げていた。 20年の途中経過は知らなかった。それだけ市民の手でつくりあげた成果になっていた。それとオチ研の特性か、地域から拡げられ、つながり、豊かな人々の輪が育っていた ☆ビックリしたのは女性落語家!これがハンパでなく上手い。仲間にはその技量の女性タレントさんがゾロゾロいるらしい。週末にはお座敷が引きも切らさずあるそうだ。男性陣もプロとして食べているのではないか、と思うくらい貫禄がある。自立した市民文化はここにあった ☆アウトリーチで洋楽が地域・学校に入る文化活動に有料で参加している。文化施設はそのバカにならない予算を毎年計上している。しかし本来はオチ研のような活動が基本にあって、そこに必要に応じて文化施設の予算が投入する方が理想だと思っている。何十年立っても同じ理念を確認し、なおかつ上質な市民文化の展開を見たように思った。招待されて幸せだった。<越谷市市民活動支援センターにて11月15日午後>
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 22:12| 文化事業

2015年10月27日

会場録音

 オーケストラなど、大規模アンサンブルのサウンドは、ホールで聴く場所、ステージで聴く位置により音楽が変わって聞こえる ☆指揮者の位置、ひな壇の上(金管楽器が演奏)、ステージの袖など、同じ音楽でも違って聞こえる。録音では会場の一番良い席で聴いているようにまとめるが、実際は合成(組み立て)してまとめてある。だから録音技術者(ミキサー)は、ホールで自然に響く音を核に編集するのが基本だが、この頃は最初からコンピューターでの合成を耳にして育った環境の人が多く、基本的なアンサンブルの姿が分からないママ合成している人が多くなった ☆大音響の中で聞こえにくい楽器の音も聞こえる。各楽器セクションの補助マイクで全体を均一にする、などの工夫が出来るようになった。それはいいことかどうか賛否がある。一番いいのは、一点中央でのステレオ録音だ、といわれている。でもよりクリアに音を組み立てたくなるようだ。自然倍音が呼び込まれて鳴ったり、楽器同士が溶けたりぶつかったりして出る不思議な音よりも、整理された音に慣らされてきているようだ ☆ロックの大音響の音楽とは異なる。微妙な音たちが自然のなかに解き放たれ、瞬間に聴き手と共に共有される音が楽しいのに、録音されるとまた別な世界になるのがいい時もあるが、失われる音もあり勿体ないような気がしている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:42| ドキュメント