2015年10月27日

会場録音

 オーケストラなど、大規模アンサンブルのサウンドは、ホールで聴く場所、ステージで聴く位置により音楽が変わって聞こえる ☆指揮者の位置、ひな壇の上(金管楽器が演奏)、ステージの袖など、同じ音楽でも違って聞こえる。録音では会場の一番良い席で聴いているようにまとめるが、実際は合成(組み立て)してまとめてある。だから録音技術者(ミキサー)は、ホールで自然に響く音を核に編集するのが基本だが、この頃は最初からコンピューターでの合成を耳にして育った環境の人が多く、基本的なアンサンブルの姿が分からないママ合成している人が多くなった ☆大音響の中で聞こえにくい楽器の音も聞こえる。各楽器セクションの補助マイクで全体を均一にする、などの工夫が出来るようになった。それはいいことかどうか賛否がある。一番いいのは、一点中央でのステレオ録音だ、といわれている。でもよりクリアに音を組み立てたくなるようだ。自然倍音が呼び込まれて鳴ったり、楽器同士が溶けたりぶつかったりして出る不思議な音よりも、整理された音に慣らされてきているようだ ☆ロックの大音響の音楽とは異なる。微妙な音たちが自然のなかに解き放たれ、瞬間に聴き手と共に共有される音が楽しいのに、録音されるとまた別な世界になるのがいい時もあるが、失われる音もあり勿体ないような気がしている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:42| ドキュメント

2015年10月17日

背景音楽

映像の背景に流れる音楽を BGM(バックグラウンドミュージック)という ☆ドラマでもドキュメントでも BGMはつきものだ。多くの人が共通に感じる表現に、作曲者ならではの表現が加わっている必要がある。ホント映像にピッタリの音楽ってあるものだ、と感心することがある。ミスマッチの音楽はそれなりに面白いが、不満を持つ人々の方が多いだろう・・・戦のシーンは優雅なワルツより、オーケストラがドンパチ鳴っている方を好む人が多いはずだ。恋人が逢って、語らう時には、なるほどそれなりの BGMになっている ☆これが上手く表現出来る人と出来ない人がいる。それぞれの専門があるから、作曲家の優劣は持ち込めない。上手い人は”大衆作家”のような所もある。大衆云々が悪いという意味ではない。その分かりやすいコミュニケーションは、また分かりやすい評価・表彰も得られる ☆分かりにくい表現は、その密度や精度を上げると、アートとしての別の価値観が出ることもある。分かりづらくても大衆の一部は評価してくれるだろうし、時代と共に評価は定着していくこともある。その両方が出来ている人って、なかなかいない。でも我々の先輩には見事な輝きを持って世界を築いた人もいた。映像に寄り添う音楽を聴くとき、何時も作曲家の耳目が浮かぶ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 18:26| 作曲

2015年10月06日

歌の原点

「この空に生きる」という歌を知っている人は少ないだろう ☆71年「パークインコンサート」という日比谷の野外ステージで飛び入りの男性が歌い、参加者が歌い継がれたものを73年にビクターレコードから発売された歌である。タイトル通りの生き方をしていた男性歌手が今夏亡くなった ☆そこを原点にその後世界の街角で自然保護や平和を訴え続けた活動をしていた。その評価は私が述べるまでもなく、多くの人々が讃辞を送っている ☆もう一つの原点になっていたのが、同曲を彼がTV番組で歌うことになった時、私がピアノ用にアレンジをして演奏したことだ。その後 N局の番組のお手伝いは”ピアニスト”のランクから始まっていった。作曲家としての仕事の参加はその数年後だった ☆公園、街角というスペースは”広場”を意味している。しかし歌手は”ステージ”も必要だ。何万人も入る会場でも、国連のようなスペースでも歌い続けていた。この空に生きてきた結果、歌の魂は多くの人々に歌い・語り続けていくことになった。作曲は同列では語れない。特にコンテンポラリーや「音楽づくり」などの”広場”では何だかショボイ感じもする。しかし誰もが歌の原点を持って生きているとすれば、この空に生きることは素晴らしいと私は思っている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 12:52| ドキュメント

2015年10月04日

ハーモニー

ハーモニーには、音による響きの積み重ねが「縮小(圧縮)」するものと、「増幅(拡大)」するモノとがある。機能和声で言われた「緊張」「解決(弛緩)」と同じようだが、不協和の強い音が交じった音と、不協和が柔らかく感じられるような響きとがあり、呼吸するように響きがつながって行くのだ ☆対位法は複数の旋律が生きる術がある。ぶつかった音が「解決」しながら複数の旋律が生かされていく。学生時代、古典の対位法の全てを逆にして作曲したことがあった。つまり響き合っている時が不協和で、それがぶつかり合って協和する様に考えたのだ。「それは面白い」と和声の先生は感心してくれた ☆その頃「メニスカス」というマリンバ独奏曲を創っていた。それから半世紀近く経って、アメリカから音楽の研究者でもある演奏家が来宅した。和声の進行が斬新で、そのことが米国で話題になった、という話だった。初めて聴く話でビックリした。世から圧縮されていた音たちが一気に爆発した感があった。遅かった。もっと早く知っていれば自信になっていたはずだった。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 20:51| 作曲

2015年10月02日

指揮次第

指揮者は音楽の強烈な価値観を聴衆に提供する。楽団員の持つ様々な価値観を一つにまとめるのは大変な仕事だ。音楽・人間・時代の様々な価値に応える力量を問われる ☆裏返すと価値観の押しつけにもなる。世界の一流はそこにスキは無い。指揮者と楽団員と、みんなが共有する価値観を気持ちよく創り上げている。一流でも”俺の価値”があり、他の価値観を拒絶する巨匠もいる。日本にも世界に通用する指揮者・演出家にも、他人の価値を聴かない(聴けない)巨匠がいる ☆自分の築き上げた世界が第一で、それ以外の幸せはあり得ないと思っているひともいる。でも多くの聴衆はそのようなファシスト・マエストロに痺れていて気が付かないようだ。いやそれはどうでもいいようだ。何時の時代も同じかも知れない。でも、そのタイプ、指揮者も追っかけも私は好きになれない。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:45| 日記

2015年10月01日

雀の子は雀

ひばり(美空)になる人は、最初からヒバリ。雀の子はひばりになれません ☆アイドル・歌手・タレント・ミスなどのコンテストの全てでは無いが、最後は親を見て決めるというギョーカイの話が TVに出たことがあった。プロデューサーの目は正にそうだ。親がハデでなくても、その存在や生き方は人々が見ている。その人の子は何時もタレントに向くとは限らない。しかし天から授かった力は、磨く前から匂ってくる。存在自体違うのだ ☆音楽家もそうだ。天賦の才は第三者が大切にする、という話は本当だ。努力すれば夢が実ると言い切れないところが辛い。どんなに奏でようが雀は雀なのだ。それを早く気が付くことも大切だ。気が付かないで最後まで努力し続けることも尊いことだ。価値はそれぞれにあり、何とも言えないが、ひばりになれると信じているひとが結構多いのが世の中だ。だからこそ、雀の何処がいけない!と言ってみたくなる。みんな雀になると、そのなかで輝く雀が出てくるからもっと面白い!
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 18:54| 文化事業

2015年09月30日

ブログの更新

10月2日にブログが替わる。時々これまで掲示してあった文書が抜けることがある。事故ではない。段落として区切ったということだ ☆ブログの経歴がスカスカになる。まるで書かない時期が長かったように見える。情報は掲載した段階で古くなることもある。常に新しい意見が大切だ ☆雑誌に掲載した自分の意見記事など、何十年も前の切り抜きを見ることがある。結構的を射た話が多い。でも言うべき人が、必要なタイミングで言うから意味がある。もう言うべき人でもタイミングでもないと感じる事もある。しかし、ブログは閉鎖しないでいる。長いこと色々見聞しているということは、ある種の爆弾も抱えていることになり、自分でも楽しみは残しておきたいとも思っているからかもしれない。しかし古い記事は千回も超えたが役立っていないこともあり、次々に交代していく。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 21:56| 日記

2015年09月29日

オケは鳴る

オーケストラは普通に書けば、良く鳴ってしまいますよね。「エッ、君はもうそんな境地に立ったのかい?」 ☆もう三十数年も前の話。東京藝大の大御所への呟きに火が付いた。当たり前のことを言ったまでだが、偉く不遜に聞こえたらしい・・・普通に書くと言うことは、オーケストラの各楽器には本来の役割もあって、低音・中音・高音それぞれ歌い響くもので、そのママ生かせば鳴り響く集団だ、というのが私の意見だった ☆拙作にもあるアニメのシンフォニー版など最たるモノで、セオリー通りに鳴っている。逆に”鳴らない”オケにするのが大変だ。いや、実際はホント鳴らないオケを書いている人もいる。慣らしたいのに鳴らない、というのは悲しむべきことでもある。要は当たり前に鳴らない独自な響きがいいということだ ☆打楽器がクライマックスをつくりワンワン鳴るオーケストラは、その手を読んだら興ざめになるが、圧倒的に書き手も聴き手も支持された手だ。盛り上がりの無い音楽なんて・・・という人には向かない問題だが、しかしオーケストラは鳴る力を秘めながら、素朴に語っている時が面白いと思っている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 10:16| 作曲

2015年09月07日

秋の演奏会

今秋は拙作の演奏会が続いている。新作だけ掲載させていただく ☆「オルゴール博士」という二つの”トイピアノ”作品がある。録音はされた事があるが、公演は初めてだ。10月に東京で開催予定だ ☆11月3日に久し振りに書いた邦楽作品、「雅譜( miyabi-fu)〜三十絃箏のために〜が初演される。11月7日には広島で「東アジア音楽祭」が開催され、その招待作品として「クリスタル ホモロジー〜ヴィブラフォーンとマリンバのために〜」が初演される ☆温めていて、なかなかまとめきれなかった音楽が、この頃姿を現し始めている。もう少し早く、もっと多く、生み出されるべきだったようにも反省している。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 12:51| コンサート

2015年09月05日

聴く力

他人の話を聞くより、自分の事を言いたい人が多い。教わるより、教えたい人の方が多いともいわれている ☆自分の事を言いたいのは当然だろう。生きている存在そのモノでもある。喋り下手でも、何かを伝える心は持っている。音楽の場合、トレーニングは「自分の喋りが上手くなる」ことも一つにある。他人と違い、如何に上手く面白く、優れた表現力を以て人に伝えられるか、大切なことだ ☆他人の事を聴く、ということは結構大変だ。音楽で聴くトレーニングもあるが、本当は喋りたい人の奥に持っている価値観を聴くことだろう。ファンの励ましや拍手を聞き分ける能力はあるが、これで”物言わぬ”喋りたい人の声を聞き分けるのは大変だ ☆音楽だけではない。その力というのが、生きて行く人びとに大切であることは、何時も言われ続けていることだ。何時までも音楽を学ぶということは、その一点に尽きるかもしれない。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 00:03| Comment(0) | 日記