2015年11月30日

お見舞い

 病気見舞いを喜ぶ人と嫌う人がいる。病院で禁じられない範囲なら何時でも誰でも大歓迎の人。弱っている自分を見られるのがイヤな人と様々だ。「元気な時の私を思い出して下されば十分です」とお見舞いを断られた巨匠もおられた ☆私は身内以外、ご本人がお見舞いを待っているか、喜んで下さるかの意思表示がある人だけ伺う事にしている。それは40年も前にイヤな思いをしたからだ・・・先輩が”交通事故”に合い、視覚障がい者になった。心底心配して、何時か何かで役に立てば嬉しいと思って伺った。その後「オレの大学のポストを狙って様子を伺いに来たヤツがいた」という噂が流れてきた ☆”ぷ〜たろう”でいられることに胸を張っていた私は、それこそ仰天した。しかし何か悪く言われるには私に原因があるだろう。そんな素振りがあったのか、心の底で噂に近い思いが私にあったのだろうか?何年も考え悩んだことがあったが、どうしても思い当たらなかった。以来、人が困っている時は相手からの問いかけが無い限り、そ〜ッとしていることにした ☆「昨年末に脳腫瘍の手術をしました」という友だちの情報を貰った。大学を卒業して何十年も逢っていなかったが「これはお見舞いに!」と思いながら、モジモジしていた。喪中のお知らせを受け取ってしまった。取り返しがつかない事をしたと思ったが、同時に昔の様々なことを思い出した。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:30| 日記

2015年11月23日

守秘義務

 どこの組織にも「職業上知り得た機密を外部に漏らしてはならない」という規約がある。漏らすと法により罰せられる。一般会社にも役所にもある ☆そりゃそうだろう。一般会社や国の機密でも、町の組織内であっても、重要機密が外にドンドン流がされてはたまったモンではない。言っていいことと悪いことの境界がここにはある。しかしそれを逆手に取っている役人もいる。「それはないでしょ」というギリギリの危ない事をしている。それを指摘すると「文句があるなら首長を訴えるがいい。そういうシステムだ」という理屈を言う。なるほど社内で出世するだけ際どい実績を、誰に言われてもスキの無いように残している。成果は別で、行く先々で枯れた実績だけを残しているが・・・ ☆時々内部告発がある。告げ口などする方だって良い気持ちではないだろう。エセ正義のヤツだっている。また貶めてやろうという事例も無きにしもあらずだ。その微妙な隙間を縫って危ない機密が外に漏れだしていく・・・そう言えば、私だって企業から、どこかの首長や木っ端役人の悪辣な手を端から見て来ているので、何だったら時効過ぎに「王様の耳はロバの耳だ」って大騒ぎしてみることだってできるようだ。それをしないのは、もっと人の奥底で幸せになっていく手だてをみんなと共有する方が楽しいからだ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:58| ドキュメント

2015年11月15日

落研・20周年

 文化会館の芸術監督時に、幾つもの市民文化参加団体を創設した。市民自らの力で文化をつくり・育て・交流する大切な基礎作りだった。「魔法の学校」も同じコンセプトで開校していた ☆20周年の記念公演があった。落語研究会だ。これが素晴らしい成果を上げていた。 20年の途中経過は知らなかった。それだけ市民の手でつくりあげた成果になっていた。それとオチ研の特性か、地域から拡げられ、つながり、豊かな人々の輪が育っていた ☆ビックリしたのは女性落語家!これがハンパでなく上手い。仲間にはその技量の女性タレントさんがゾロゾロいるらしい。週末にはお座敷が引きも切らさずあるそうだ。男性陣もプロとして食べているのではないか、と思うくらい貫禄がある。自立した市民文化はここにあった ☆アウトリーチで洋楽が地域・学校に入る文化活動に有料で参加している。文化施設はそのバカにならない予算を毎年計上している。しかし本来はオチ研のような活動が基本にあって、そこに必要に応じて文化施設の予算が投入する方が理想だと思っている。何十年立っても同じ理念を確認し、なおかつ上質な市民文化の展開を見たように思った。招待されて幸せだった。<越谷市市民活動支援センターにて11月15日午後>
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 22:12| 文化事業

2015年10月27日

会場録音

 オーケストラなど、大規模アンサンブルのサウンドは、ホールで聴く場所、ステージで聴く位置により音楽が変わって聞こえる ☆指揮者の位置、ひな壇の上(金管楽器が演奏)、ステージの袖など、同じ音楽でも違って聞こえる。録音では会場の一番良い席で聴いているようにまとめるが、実際は合成(組み立て)してまとめてある。だから録音技術者(ミキサー)は、ホールで自然に響く音を核に編集するのが基本だが、この頃は最初からコンピューターでの合成を耳にして育った環境の人が多く、基本的なアンサンブルの姿が分からないママ合成している人が多くなった ☆大音響の中で聞こえにくい楽器の音も聞こえる。各楽器セクションの補助マイクで全体を均一にする、などの工夫が出来るようになった。それはいいことかどうか賛否がある。一番いいのは、一点中央でのステレオ録音だ、といわれている。でもよりクリアに音を組み立てたくなるようだ。自然倍音が呼び込まれて鳴ったり、楽器同士が溶けたりぶつかったりして出る不思議な音よりも、整理された音に慣らされてきているようだ ☆ロックの大音響の音楽とは異なる。微妙な音たちが自然のなかに解き放たれ、瞬間に聴き手と共に共有される音が楽しいのに、録音されるとまた別な世界になるのがいい時もあるが、失われる音もあり勿体ないような気がしている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:42| ドキュメント

2015年10月17日

背景音楽

映像の背景に流れる音楽を BGM(バックグラウンドミュージック)という ☆ドラマでもドキュメントでも BGMはつきものだ。多くの人が共通に感じる表現に、作曲者ならではの表現が加わっている必要がある。ホント映像にピッタリの音楽ってあるものだ、と感心することがある。ミスマッチの音楽はそれなりに面白いが、不満を持つ人々の方が多いだろう・・・戦のシーンは優雅なワルツより、オーケストラがドンパチ鳴っている方を好む人が多いはずだ。恋人が逢って、語らう時には、なるほどそれなりの BGMになっている ☆これが上手く表現出来る人と出来ない人がいる。それぞれの専門があるから、作曲家の優劣は持ち込めない。上手い人は”大衆作家”のような所もある。大衆云々が悪いという意味ではない。その分かりやすいコミュニケーションは、また分かりやすい評価・表彰も得られる ☆分かりにくい表現は、その密度や精度を上げると、アートとしての別の価値観が出ることもある。分かりづらくても大衆の一部は評価してくれるだろうし、時代と共に評価は定着していくこともある。その両方が出来ている人って、なかなかいない。でも我々の先輩には見事な輝きを持って世界を築いた人もいた。映像に寄り添う音楽を聴くとき、何時も作曲家の耳目が浮かぶ。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 18:26| 作曲

2015年10月06日

歌の原点

「この空に生きる」という歌を知っている人は少ないだろう ☆71年「パークインコンサート」という日比谷の野外ステージで飛び入りの男性が歌い、参加者が歌い継がれたものを73年にビクターレコードから発売された歌である。タイトル通りの生き方をしていた男性歌手が今夏亡くなった ☆そこを原点にその後世界の街角で自然保護や平和を訴え続けた活動をしていた。その評価は私が述べるまでもなく、多くの人々が讃辞を送っている ☆もう一つの原点になっていたのが、同曲を彼がTV番組で歌うことになった時、私がピアノ用にアレンジをして演奏したことだ。その後 N局の番組のお手伝いは”ピアニスト”のランクから始まっていった。作曲家としての仕事の参加はその数年後だった ☆公園、街角というスペースは”広場”を意味している。しかし歌手は”ステージ”も必要だ。何万人も入る会場でも、国連のようなスペースでも歌い続けていた。この空に生きてきた結果、歌の魂は多くの人々に歌い・語り続けていくことになった。作曲は同列では語れない。特にコンテンポラリーや「音楽づくり」などの”広場”では何だかショボイ感じもする。しかし誰もが歌の原点を持って生きているとすれば、この空に生きることは素晴らしいと私は思っている。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 12:52| ドキュメント

2015年10月04日

ハーモニー

ハーモニーには、音による響きの積み重ねが「縮小(圧縮)」するものと、「増幅(拡大)」するモノとがある。機能和声で言われた「緊張」「解決(弛緩)」と同じようだが、不協和の強い音が交じった音と、不協和が柔らかく感じられるような響きとがあり、呼吸するように響きがつながって行くのだ ☆対位法は複数の旋律が生きる術がある。ぶつかった音が「解決」しながら複数の旋律が生かされていく。学生時代、古典の対位法の全てを逆にして作曲したことがあった。つまり響き合っている時が不協和で、それがぶつかり合って協和する様に考えたのだ。「それは面白い」と和声の先生は感心してくれた ☆その頃「メニスカス」というマリンバ独奏曲を創っていた。それから半世紀近く経って、アメリカから音楽の研究者でもある演奏家が来宅した。和声の進行が斬新で、そのことが米国で話題になった、という話だった。初めて聴く話でビックリした。世から圧縮されていた音たちが一気に爆発した感があった。遅かった。もっと早く知っていれば自信になっていたはずだった。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 20:51| 作曲

2015年10月02日

指揮次第

指揮者は音楽の強烈な価値観を聴衆に提供する。楽団員の持つ様々な価値観を一つにまとめるのは大変な仕事だ。音楽・人間・時代の様々な価値に応える力量を問われる ☆裏返すと価値観の押しつけにもなる。世界の一流はそこにスキは無い。指揮者と楽団員と、みんなが共有する価値観を気持ちよく創り上げている。一流でも”俺の価値”があり、他の価値観を拒絶する巨匠もいる。日本にも世界に通用する指揮者・演出家にも、他人の価値を聴かない(聴けない)巨匠がいる ☆自分の築き上げた世界が第一で、それ以外の幸せはあり得ないと思っているひともいる。でも多くの聴衆はそのようなファシスト・マエストロに痺れていて気が付かないようだ。いやそれはどうでもいいようだ。何時の時代も同じかも知れない。でも、そのタイプ、指揮者も追っかけも私は好きになれない。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 23:45| 日記

2015年10月01日

雀の子は雀

ひばり(美空)になる人は、最初からヒバリ。雀の子はひばりになれません ☆アイドル・歌手・タレント・ミスなどのコンテストの全てでは無いが、最後は親を見て決めるというギョーカイの話が TVに出たことがあった。プロデューサーの目は正にそうだ。親がハデでなくても、その存在や生き方は人々が見ている。その人の子は何時もタレントに向くとは限らない。しかし天から授かった力は、磨く前から匂ってくる。存在自体違うのだ ☆音楽家もそうだ。天賦の才は第三者が大切にする、という話は本当だ。努力すれば夢が実ると言い切れないところが辛い。どんなに奏でようが雀は雀なのだ。それを早く気が付くことも大切だ。気が付かないで最後まで努力し続けることも尊いことだ。価値はそれぞれにあり、何とも言えないが、ひばりになれると信じているひとが結構多いのが世の中だ。だからこそ、雀の何処がいけない!と言ってみたくなる。みんな雀になると、そのなかで輝く雀が出てくるからもっと面白い!
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 18:54| 文化事業

2015年09月30日

ブログの更新

10月2日にブログが替わる。時々これまで掲示してあった文書が抜けることがある。事故ではない。段落として区切ったということだ ☆ブログの経歴がスカスカになる。まるで書かない時期が長かったように見える。情報は掲載した段階で古くなることもある。常に新しい意見が大切だ ☆雑誌に掲載した自分の意見記事など、何十年も前の切り抜きを見ることがある。結構的を射た話が多い。でも言うべき人が、必要なタイミングで言うから意味がある。もう言うべき人でもタイミングでもないと感じる事もある。しかし、ブログは閉鎖しないでいる。長いこと色々見聞しているということは、ある種の爆弾も抱えていることになり、自分でも楽しみは残しておきたいとも思っているからかもしれない。しかし古い記事は千回も超えたが役立っていないこともあり、次々に交代していく。
posted by Dr.ひ〜ろ〜(坪能克裕) at 21:56| 日記